
都市・建築・不動産に関する諸問題をいかに解決して、ストック型建築社会を構築するか
- 2009/01/05
2008年は、歴史に残る激動の年であった。アメリカのサブプライム問題に端を発したアメリカ経済の変調が、9月15日のリーマンショックを経て、世界的な金融恐慌へと拡大し、それが、かつてないほどのスピードと広がりをもって実体経済にも深刻な打撃を与えた。
当初は、対岸の火事と考えていたわが国の経済も、ダウに連動した東証株価の暴落にとどまらず、急激な円高の影響も重なり、トヨタの営業赤字転落に象徴される輸出産業、基幹産業の急速な業績悪化を招いている。
2009年の新春を迎え、現在の社会経済環境をどう認識すべきかについて、若干の私見を述べてみたい。
まず、重要なことは、今回の不況が、単なる経済循環による不況ではなく、従来の産業構造、資本主義経済全体を揺るがしかねない構造的な転換をもたらそうとしていることである。時代はまさに、ターニングポイントを迎えようとしているのである。
1980年代のサッチャー、レーガンから始まった小さな政府、規制緩和の流れは、米国を中心とした金融資本主義を発達させ、その中で、市場のモラルが失われ、金融工学を駆使したデリバティブ等の取引や証券化等の仕組みが巨大化し、ついには、その生み出した商品のリスクを制御することができなくなり、市場機能が麻痺し、世界中のあらゆる市場で流動性が失われたというのが、今回の金融危機、すなわち、バブルの真相であろう。
こうしたバブルは、17世紀のオランダのチューリップバブル以来、繰り返し引き起こされてきたものであるが、今回のバブルが、資本主義の究極の形態とも考えられる金融資本主義のシステム破綻であるだけに、その影響は大きいのではないだろうか。常に経済成長を求める資本主義が、実体経済の成長が頭打ちになっても金融資本の見かけ上の価値を増幅させることによって、見かけ上の経済成長を達成してきたのが、金融資本主義の実態なのである。
今年の元旦の日本経済新聞の第一面に、持続可能性(サスティナビリティ)から生存可能性(サバイバビリティ)へと時代のテーマが変わったという記事があったが、これは、全く誤った時代認識なのではないだろうか。
確かに、資本主義経済下での個々の企業、とりわけ、常に市場で投資家の評価にさらされる上場企業にとっては、毎期ごとに利益の増大を目指すことが不可欠であり、市場での生存をかけたサバイバルゲームを展開せざるを得ないという面は否定できない。しかし、マクロな社会経済システム全体を見渡した場合、短期的な経済成長や、個々の企業の利益の増大に、どれほどの意味があるのだろうか。むしろ、上場企業等のサバイバルゲームの結果としての失業問題や社会的不安の増大の方が、大きな問題なのではないだろうか。
今はむしろ、個々の企業の短期的な利益の増大を超えた、社会システム全体としての長期的な持続可能性(サスティナビリティ)を、どのように構築していくべきかというテーマが問われているのではないだろうか。個々の企業の利益額が増えなくても(多少減っても)、ニーズに見合った雇用と生産やサービスが確保されれば、社会全体としてのシステムは回っていくはずなのである。
利益の増大を求める資本主義、とりわけ、株主利益の最大化を求める株主資本主義や前述の金融資本主義の限界は明らかであり、これに替わる持続可能な新たな社会システムの登場こそ、今、まさに求められているものであろう。
ソーシャル・イノベーションやワークシェアリングなど、こうした社会システムの萌芽は至る所でみられるが、キーとなる考え方は、金銭以外の報酬を与えるシステム、すなわち、人間の尊厳を高め得る金銭以外の報酬を与えられること、喜びをシェアできることなのではないだろうか。こうした社会システムの創出に、少しでも貢献できるよう、チャレンジしていきたいと思う。
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- 2008/07/28


求道会館・求道学舎の保存再生事業に対する2008年日本建築学会賞(業績)受賞のお祝いの会が、去る7月26日の土曜日に、求道会館で開催された。当日は、受賞者である、近角真一さん、近角よう子さんご夫妻、渡邊保弘さん、私の4名のほか、求道学舎の居住者をはじめ、200名をこえる多くの方々にお集まりいただき、たいへん楽しい一時を過ごすことができた。
いま思い起こしても、求道学舎の再生プロジェクトが成功したことは、ほとんど奇跡に近い。しかし、もともとの建物所有者であり、かつ設計者でもある近角さんご夫妻をはじめ、私も含めた関係者全員が、それぞれの立場で、できる限りのことを全力で取り組んだからこそ、うまくいったのである。学会賞の受賞者は、我々4名であるが、実際には、2つのプロジェクトに関係したすべての人々の努力と献身に対して頂いた賞だと、つくづく思う。
東京にわずか2つだけ残る武田五一設計の建物は、多くの人々の努力と献身により、保存再生されることとなった。単なる文化財としての形式的な保存ではなく、人々に使われる建物として保存・再生できたことが、何よりも嬉しいことである。そして、この祝賀会の後、求道学舎の屋上で、求道学舎の居住者の方々との語らい、手料理とワインの味が最高だった。皆さん、ありがとうございました。
※1:求道学舎プロジェクトについては、近角よう子さんのすばらしい著書があります。
■『求道学舎再生-集合住宅に甦った武田五一の大正建築』(学芸出版社)
http://www.gakugei-pub.jp/mokuroku/book/ISBN978-4-7615-2429-6.htm
※2:求道学舎と同潤会江戸川アパートについての拙文もあります。
■「建替えと再生の狭間で-同潤会江戸川アパートメント建替え事業と求道学舎リノベーション住宅プロジェクト」、『新建築2007年2月号』巻頭論文
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- 2008/07/14
福田内閣の目玉政策の一つである、いわゆる「200年住宅」に係る国土交通省主催のコンペ(超長期住宅先導的モデル事業)の第1回目の審査結果が、7月7日に発表された※1。予想通りというか、当選案の大半は、やはり、ハードの新築戸建て住宅に係わるもので、大手ハウスメーカーの提案がずらりと並んでいた。本格的な住宅過剰時代、ストック時代を迎え、国がようやく、住宅の長寿命化という課題に本格的に取り組むようになったことは、率直に評価したいが、当選した提案の大半が、大量に余っている住宅ストックの長寿命化ではなく、相変わらず、新築住宅のシステム提案であるところに、この国の、過度に新築に依存した産業構造の実態が見えるようだ。
住宅の長寿命化には、ハードとしての住宅そのものの耐久性、耐震性などの性能が重要であることは確かであるが、実は、それだけでは、全く不十分である。当然、維持管理のシステムや住宅履歴システム、中古住宅の流通市場などのソフト面の整備も重要であるが、ここでは、一連の議論から見落とされがちな、住宅の「普遍性」という観点から、住宅の長寿命化という課題を考えてみたい。
わが国では、まだまだ老朽化していない状態の住宅が大量に取り壊される。典型的なパターンは、中古住宅が売りに出されたときである。多くの場合、この中古住宅は、新しい買主によって取り壊され、その跡地に、新しい住宅が建てられる。これは、中古住宅の耐久性や耐震性に問題がない場合にでも、大いに起こり得る。その最大の原因の一つとして、その中古住宅に「普遍性」が乏しいことが挙げられる。わが国の戸建て住宅は、注文住宅として建てられた場合、その注文主のその時点の家族形態やニーズにあった個別対応型の住宅が建てられる。よく言えば、居住者のニーズにあった住宅であり、個性的な住宅であるが、一般的な居住者から見れば、普遍性の乏しい、住みにくい住宅かもしれない。こうした普遍性の乏しい住宅を、自由設計と称して、大半のハウスメーカーが大量供給するわけである。そこには、本来のプレハブ生産システムがもっていたはずの普遍性は失われている。
たとえば、米国では、3bedroom・2bathroomの住宅といえば、地域は違っても、ほぼ同一の間取り、性能をもった住宅がイメージでき、だからこそ、年間700万件近い中古住宅の売買取引が行われているのである※2。つまり、住宅に普遍性があるからこそ、中古売買が容易にでき、築年数が経っても住宅の価値が下がらないという市場が形成され、結果的に、持ち主が替わっても住宅が長持ちすることになるのである。では、居住者のニーズに対応した住宅はないのかというと、典型的な家族形態にあわせた普遍性の高い住宅が何パターンか用意されているので、結果的に、家族の成長に合わせて住宅を買い替えることで、注文住宅でなくても、十分に居住者ニーズに対応した住宅に住めるわけである。こうした米国の事例は、住宅の長寿命化を考える上で、きわめて示唆に富むものと考えられる。
それでは、住宅の普遍性とは何であろうか。それは、耐久性・耐震性はもちろん、断熱性、遮音性等の基本的な住宅性能が一定基準以上であることと、ある程度以上の広さがあること、できれば、リニューアルしやすいことの3つが挙げられよう。基本的な住宅性能に問題のある住宅は、居住者にとって住みづらく、長期的なストックにはなりえない。また、住宅の広さの基準は、家族構成によって変わるものであるが、一部屋ごとの面積の狭い住宅は、やはり住みづらく、普遍性を持ち得ない。実際、住宅の寿命についての研究で知られる早稲田大学理工学術院の小松幸夫教授のお話では、住宅の広さと住宅の寿命の間には、統計的に明確な正の相関関係があるとのこと、つまり、広い住宅ほど長寿命なのである。リニューアルのしやすさというのは、構造躯体とは切り離して、内装・設備等の入れ替えを行いやすいということで、スケルトン・インフィル方式が代表的な考え方である。これは、耐久性のある丈夫なスケルトン(建物の骨組み)と、居住者ニーズや時代のニーズに対応し得る可変的なインフィル(内装・設備)を、それぞれ独立したシステムとして建築の中に実現するという考え方である。
いずれにせよ、居住者の個別的なニーズに対応することばかりに邁進してきた住宅業界や建築設計者は、長期的な社会ストック足り得る「普遍性」を持つ住宅をいかに供給していくかという課題に、今こそ、本格的に取り組む必要があるのではないだろうか。
※1:
■ 国土交通省 平成20年度(第1回)超長期住宅先導的モデル事業の採択事業の決定について
http://www.mlit.go.jp/report/press/house06_hh_000008.html
■ 添付資料
http://www.mlit.go.jp/common/000019293.pdf
※2:ちなみに、わが国では、中古住宅の流通数は年間20万戸にも満たない。
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- 2008/07/07
建設産業や不動産業を取り巻く社会・経済環境は、ここ十年あまりの間に様変わりをしている。それは、一言で言えば、スクラップ&ビルドの時代から、ストック時代への転換である。つまり、人口構造の変化や地球環境問題への対応などの観点から、これまでのように、築30年程度で建築物の取り壊し・建替えを繰り返していくような考え方を、もはや継続していくことが難しい時代になったということである。これからの時代の建設産業や不動産業に求められていることは、今あるストックとしての建築物を再生し、できる限り有効に利用し続けること、今後、建設していく建築物を、できる限り耐久性の高い、長期間利用できるものにしていくという技術であり、知恵である。こうしたストック時代の建築のあり方を考えていく上で最も重要なキーワードの一つとして、「建築再生」という概念がある。建物のリニューアルや、コンバージョン※1は、その代表例であり、これからの時代の建築行為は、「新築」中心から、「建築再生」中心へと変わっていくことが時代に必然である。実際、ヨーロッパ諸国では、すでに、新築に対する投資額よりも、建築再生に対する投資額の方が上回っているのである。
しかし、わが国において、この「建築再生」を推進していくことは、それほど易しいことではない。というのは、「建築再生」に係わる技術、生産システム、産業構造、法制度、マーケット、教育や職能などが、まだまだ未成熟であり、それらは、「新築」に係わるものとは全く異なるからである。特に、大学等の専門教育の観点から見ると、従来の建築教育のカリキュラムは、建物を新築するための技術や計画、デザインの教育が中心であり、「建築再生」を行うための教育はほとんど行われてこなかった。また、教える方の人材についても、「建築再生」の現場を経験した教員はほとんどいないのが現実である。そういった意味では、「建築再生」を推進していくためには、「建築再生」に係わる技術、計画、デザイン等の手法を体系化し、これを、「建築再生学」というひとつの学問分野として確立し、この分野の人材を育成していくことが急務と言えよう。
この「建築再生」は、ある意味で、「医療行為」ときわめて似ている。いわば、ストックとしての建築に対する「医療行為」が、「建築再生」なのである。つまり、患者の病状を診察し(既存建物の診断)、その悪いところ、痛んだところをどう直すかを検討し(建築再生の計画やデザイン)、実際の治療を行う(大規模修繕やコンバージョン工事等の実施)わけである。そして、実際の「医療」に、学問的裏付けとしての「医学」が必要なように、「建築再生」には、その学問的裏付けとしての「建築再生学」が必要なのである。また、「医学」が、基礎医学と臨床の相互フィードバックで成り立っているように、「建築再生学」も、構造・設備・環境等のエンジニアリングや、計画学、デザイン論等の「基礎理論」と、現場での建築行為という「臨床」の相互フィードバックによって、着実な発展を遂げる必要があるものと考えられる。
こうした「建築再生学」の第一歩として、東京大学の松村秀一教授を中心にしたメンバーで、「建築再生の進め方 -ストック時代の建築学入門-」という書籍を2007年10月に市ヶ谷出版社から出版し、2008年度の都市住宅学会の著作賞を受賞した。「建築再生」に関心のある方は、是非一度、手にとってご覧いただければ幸いである。
■ 『建築再生の進め方 -ストック時代の建築学入門-』 (市ヶ谷出版社)
http://www.ichigayashuppan.co.jp/books/229.htm
■ 『建築再生の進め方 -ストック時代の建築学入門-』
http://www.abrain.co.jp/consulting/property/susumekata
※1:「建築再生」の一類型であり、「ストックとしての建築の有用性が失われた局面において、その建築に何らかの手を加えて、建物の用途を転換することにより、建物の有用性を回復したり、新たな価値を加えたりする建築行為」を、建物の「コンバージョン」と呼ぶ。
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- 2008/06/30
7月7日から開催される洞爺湖サミットでは、地球環境問題が主たるテーマとされており、6月9日に福田首相が発表した福田ビジョンでは、2050年までの日本のCO2排出量削減の長期目標について、「現状から60~80%の削減を目指す」とし、注目された2020年の中期の数値目標については明言しなかったものの、「05年比14%の削減が可能」と述べ、排出量取引の国内統合市場の創設など、低炭素化社会の明確な一歩を踏み出したと言えよう。
ところで、私が現在携わっている、S団地の建替えプロジェクトでは、建替え後の団地の駐車場の設置について、大変困った状況が発生している。というのは、その団地が所在するT市の条例では、その団地のエリアについては、新設する分譲マンション1戸あたり1台の駐車場を設置することを義務づけているからである。建替えにより約470戸の住宅が建設される計画なので、これに従えば、約470台の駐車場を設置しなければならないわけである。こうした駐車場付置義務制度は、T市に限らず、路上駐車の増加などの問題に対応して、昭和50年代ごろから全国の大半の自治体で施行されてきたものである。確かに、かつての人口増加時代には、駐車場付置義務により、駐車場問題を事前に解決する社会的ニーズが存在したのである。しかし、現在は人口減少時代に突入しており、07年の国内自動車保有台数も、06年よりも15万5千台減少するという史上初めての対前年割れを記録しているのである。加えて、昨今のガソリン価格の高騰や地球環境問題への関心の高まりなど、時代は明らかに車離れの潮流にある。
こうした中で、S団地の建替えプロジェクトでは、市の条例のために、膨大な数の駐車場を計画せざるを得ず、地下駐車場や機械式駐車場など、駐車場の建設費だけで相当な負担となっている。折からの建設費高騰のあおりを受け、ただでさえ予算が足りない中で、建替え後の住宅1戸に1台の駐車場建設費は、住民の経済的負担を増加させる要因のひとつとなっている。住民(区分所有者)の多くは高齢者であり、そろそろ自動車の運転もやめようかという年齢に達しており、自動車の保有率も徐々に下がっている。市の条例に従って駐車場を整備した場合には、その多くが空いてしまい、建替え後の管理組合の経営悪化の一因となることは、火を見るよりも明らかなのである。まして、低炭素化社会への転換がわが国全体の大きな目標となる中で、自動車の増加を前提とした駐車場付置義務は、もはや時代錯誤の政策と言ってもいいのではないだろうか。これは、道路特定財源を前提とした道路整備中期計画の愚に通じるものであり、そろそろ、抜本的な見直しが必要な制度であろう。低炭素化社会の実現を目指すのであれば、カーシェアリングの推進や、住戸1戸に落葉高木1本といった、「植樹付置義務」を課す方が、はるかに時代にあった政策と思われるのだが、いかがであろうか。
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- 2008/06/23
私が大学の建築学科を卒業してゼネコンに就職したのは、いまから31年前の1977年のことである。当初は支店の見積部に配属されたのであるが、今でも思い出すのは、社内の設計者の能力についてのうわさ話である。当時、ゼネコン社内の支店サイドでよく話題になっていたのは、建物の延べ面積1㎡あたりの鉄筋や鉄骨の量について、担当する構造設計者によって明確な差が生じるということであった。
たとえば、鉄筋コンクリート造のマンションを設計した場合、A設計士が設計すると、130kg/㎡の鉄筋量が必要であるのに対し、B設計士が設計すると、120kg/㎡で済むという話である。この場合、ゼネコンが設計施工で仕事を受注しているのであれば、社内的にはB設計士の方が優秀であると判断され、できるだけ、B設計士に仕事を頼もうという話になっていた。つまり、鉄筋などの資材量が少なくて済む設計をできる者が、優秀な設計者であるというゼネコン社内のコンセンサスがあったのである。
同じような話は、意匠設計の担当者についてもあり、50㎡そこそこの狭い専有面積の中で、3LDKの間取りをうまく取れる設計者が優秀な設計者と評価されていた。また、建物の階高についても、できるだけ低く設計することが、コストを抑える設計として評価されていた。つまり、ぎりぎりのコスト、スペースの中で、法規を最低限クリアーし、施主のニーズ(「できるだけいいもの」をではなく、「そこそこのものをできるだけ安く早く」という場合が多い)を満たす設計が、良しとされていたわけである。
しかしながら、このようにして設計され、完成した建物は、その後の設計基準の変更や、生活者ニーズの高度化などによって、いち早く陳腐化していった。設計時における法規やコスト条件などを、最低限クリアーするという短期的な部分最適化の設計思想は、実は、建物の社会的寿命を著しく損ねる結果を招いたのである。こうした建設業の実態は、実は、30年余り経過した現在においても本質的には変わっていない。わが国では、法規ぎりぎりで最低限のコストで設計し施工するという風潮が、いまだにまかり通っているようである。
現在、200年住宅という超長期の耐用性をもった住宅づくりが、政府によって推進されようとしているが、目先の基準ではなく、ライフサイクル的な超長期の視点に立って、品格ある建築、優良な社会ストックを形成するという哲学がなければ、単なる掛け声で終わってしまうのではないだろうか。もちろん、クライアントの理解が得られなければ実現しない話ではあるが、クライアントの教育も、設計者の重要な仕事であろう。
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- 2008/06/16
昨年来、特に今年に入ってから、建築工事費の値上がり傾向が著しい。中でも、鉄筋コンクリート造(RC造)、鉄筋鉄骨コンクリート造(SRC造)の建物の建築工事費の値上がり率が大きく、分譲マンションなどでは、土地の仕入れ値の値上がり傾向と相まって、供給原価が高騰し、販売価格への転嫁が難しい状況を受けて、ディベロッパー各社は供給量を絞って対応している。
この建築工事費高騰の原因としては、中国をはじめとする新興国の経済成長に伴う世界的な原材料不足の影響を受けて鉄骨をはじめとする建設資材の値上がりが急であること、原油等の原材料の値上がりから住宅設備機器等の値上がりも始まっていることなどが挙げられているが、実は、今回の建築工事費の高騰は、これまでのものとは相当異質なものと考えられる。
従来、建築工事費も他の材やサービスの値段と同じく、需要と供給の関係により決まってきた。すなわち、建築工事量がある一定以上増加すると、主として労務量が一定であることから、国内の建築工事費の単価は、労務不足によるいわゆるボトルネックインフレを引き起こしてきた。80年代後半から90年代前半にかけてのバブル期の建築工事費の高騰は、その典型例である。そして、このバブル期には、ゼネコン各社は空前の利益を上げていた。
しかし、今回の建築工事費の高騰は、こうした過去の例とは全く異なる。第一に、建築工事の着工量は、昨年6月の建築基準法改正を契機に急減しており、労務量が足りないわけでは全くないはずである。確かに、世界的な資源不足を反映して建設資材の値上がりや住宅設備機器等の値上がりはあるが、それだけでは、実感として昨年来3~4割、場合によっては5割以上の建築工事費の値上がりを説明できるものではない。たとえば、鋼材価格が、トン当たり3~4万円から約11万円への3倍にも上昇したといっても、通常のRC造の建物で必要とされる鋼材量は、せいぜい1㎡当たり0.15トン程度、1坪当たり0.5トン程度に過ぎない。鋼材価格がトン当たり7~8万円上がったとしても、建築工事費に及ぼす影響は、3.5~4万円程度に過ぎないのである。第二に、こうした建築工事費の値上がり傾向にもかかわらず、大手ゼネコンをはじめとするゼネコン各社の業績は、むしろ、低下傾向にあることである。
こうしたことから考えられることは、もはや、ゼネコン自身が、建築工事の原価をコントロールする力を失いつつあるのではないかということである。資材メーカーや設備メーカー、設備系の大手工事会社をはじめ、仕入先や協力会社に対する発注力、コストコントロール力はもとより、決して不足していないはずの労務を確保する力まで、ゼネコン自身の強みとしていた総合力が失われてきているのである。
昨今、大手建設会社の工事現場で、鉄筋の本数の間違いなど信じられないような単純ミスが発生していることが続々と報道されているが、こうした基礎的な建設技術力の低下を含めて、わが国の建設業界の中心であった総合建設業としてのゼネコンの力が相対的に、しかも急速に低下しつつあることは、わが国の将来にとっても由々しき事態であり、建設業界全体として、その対策に取り組む必要があろう。
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- 2008/06/09
姉歯元一級建築士が引き起こしたいわゆる耐震偽装問題を契機に、国土交通省は建築基準法の改正を図り、その行き過ぎた法手続きの厳正化が、建築着工数の急減による官製不況を招いたことはご承知のとおりである。この耐震偽装問題については、一級建築士という専門家の倫理の問題を、性悪説に立って法規制の強化という手段で解決しようとしたことや、そもそも行政側の建築確認に係る審査業務の不備が問題であったにもかかわらず、申請者側の義務を強化した点などに対して根強い批判がある。しかし、ここでは、そうした批判とは全く別に、耐震偽装問題の本質として、隠れた大きな問題が存在することを指摘したい。
耐震偽装問題の対象となった建物用途は、分譲マンションが中心であったが、このことは単なる偶然ではないと考えられる。実は、分譲マンションの原価構造にこそ、耐震偽装問題の本質が存在するのである。たとえば、販売価格が1戸当たり5000万円の分譲マンションがあるとする。一般に分譲マンションの原価の中で、販売事業者であるディベロッパーの粗利は販売価格の約20%が相場であり、この例では1000万円が粗利となる。残りの4000万円の内訳として、土地代と建設費(消費税込み)が半々だとすると、それぞれ2000万円となる。一般に分譲マンションの設計料は、建設費の2~3%であるので、仮に2.5%とすると、2000万円×2.5%=50万円と計算され、これはマンションの分譲価格の約1%に当たる。設計料のうち、構造設計に支払われる比率は15%程度であるので、50万円×15%=7.5万円が、5000万円の分譲マンションの構造安全性を担保する構造設計料の値段である。これは、販売価格のわずか0.15%にしか過ぎない。姉歯元一級建築士は、この構造設計料の中で、わずかな労を惜しみ不正に走ったのである。
一方、デベロッパーの粗利の中で、販売費・広告宣伝費は、マンションの売値の6~8%程度(5000万円のマンションでは300万円~400万円)であり、設計料の6~8倍、構造設計料のなんと数十倍にも相当する。マンションの豪華なモデルルームや新聞やチラシ等の宣伝広告、果てはハリウッドの映画スターを起用してのテレビコマーシャルなどに使われる販売費・広告宣伝費に対して、居住者の安全安心を守る原点ともいえる構造設計料がその数十分の一しか割り当てられていないという現実こそ、実は、耐震偽装を生み出す本質的な問題ではないだろうか。仮に、心あるデベロッパーが、販売費・宣伝広告費の15%程度を設計料に余分に割り当てるだけで、現状の設計料は倍になり、その分、時間と労力をかけた良心的な設計が可能になり、他社に比して優れた分譲マンションを供給でき、消費者の支持を受けるのではないだろうか。
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- 2008/06/02
2007年度の住宅着工数が、4月30日に国土交通省から発表された。それによると、前年度比19.4%減の103万5598戸と、40年ぶりに110万戸の大台を割り込み、減少幅は、1974年度の28.5%減に次ぐ過去2番目の下げ幅という。これは、いわゆる耐震偽装問題を契機とする昨年6月施行の建築基準法改正により、建築確認手続きが厳正化された影響や、最近の建築資材の高騰の影響によるものという。確かに、建築基準法の「改正」は、現場の実情を無視した杓子定規な規制強化であり、運用面の是正はみられるものの、今後の建築行政に大きな課題を残した。建築資材の高騰の影響も、特に、鉄筋コンクリート造や鉄骨鉄筋コンクリート造の建物の建築費に多大な影響を与えている。
しかし、建築着工数が100万戸近くまで減少したことが、果たして、住宅不況のバロメーターと言えるのだろうか。ここに、面白いデータがある。米国、イギリス、フランス、ドイツ、日本の5カ国について、2004年の住宅着工数を同年の人口で割った数値の比較であるが、人口千人あたりの住宅着工数は、米国6.7、イギリス3.8、フランス5.8、ドイツ2.5、日本9.3であった。2004年の日本の住宅着工数は、118万9049戸で、近年のごく平均的な数値であったが、人口千人あたりでみると、当時住宅ブームのまっただ中にあった米国の1.4倍の着工数であり、フランスの1.6倍、イギリスの2.4倍、ドイツの3.8倍という驚くべき数値である。
わが国の人口は、すでに2004年12月をピークに減少に転じており、また、平成15年住宅・土地統計調査によれば、総世帯数4726万世帯の1.14倍に当たる5389万戸の住宅ストックがあり、住宅自体は余っている状態なのである。こうしたことから、わが国の住宅着工数は、徐々に他の先進国並みに減少していくことが自然な姿なのではないだろうか。米国並みの人口千人あたり6.7戸の水準まで下がっても、100万戸割れどころか、約85万戸の水準にまで減少するのである。
住宅業界、建築業界も、そろそろ住宅着工数に一喜一憂し、国の景気刺激策を期待するのではなく、ストック時代を見据えた産業構造への自立的な転換を真剣に考えるべき時期なのではないだろうか。
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