年頭に当たって ~サスティナブルな社会システムへの転換を~

 2008年は、歴史に残る激動の年であった。アメリカのサブプライム問題に端を発したアメリカ経済の変調が、9月15日のリーマンショックを経て、世界的な金融恐慌へと拡大し、それが、かつてないほどのスピードと広がりをもって実体経済にも深刻な打撃を与えた。

 当初は、対岸の火事と考えていたわが国の経済も、ダウに連動した東証株価の暴落にとどまらず、急激な円高の影響も重なり、トヨタの営業赤字転落に象徴される輸出産業、基幹産業の急速な業績悪化を招いている。

 2009年の新春を迎え、現在の社会経済環境をどう認識すべきかについて、若干の私見を述べてみたい。

 まず、重要なことは、今回の不況が、単なる経済循環による不況ではなく、従来の産業構造、資本主義経済全体を揺るがしかねない構造的な転換をもたらそうとしていることである。時代はまさに、ターニングポイントを迎えようとしているのである。

 1980年代のサッチャー、レーガンから始まった小さな政府、規制緩和の流れは、米国を中心とした金融資本主義を発達させ、その中で、市場のモラルが失われ、金融工学を駆使したデリバティブ等の取引や証券化等の仕組みが巨大化し、ついには、その生み出した商品のリスクを制御することができなくなり、市場機能が麻痺し、世界中のあらゆる市場で流動性が失われたというのが、今回の金融危機、すなわち、バブルの真相であろう。

 こうしたバブルは、17世紀のオランダのチューリップバブル以来、繰り返し引き起こされてきたものであるが、今回のバブルが、資本主義の究極の形態とも考えられる金融資本主義のシステム破綻であるだけに、その影響は大きいのではないだろうか。常に経済成長を求める資本主義が、実体経済の成長が頭打ちになっても金融資本の見かけ上の価値を増幅させることによって、見かけ上の経済成長を達成してきたのが、金融資本主義の実態なのである。

 今年の元旦の日本経済新聞の第一面に、持続可能性(サスティナビリティ)から生存可能性(サバイバビリティ)へと時代のテーマが変わったという記事があったが、これは、全く誤った時代認識なのではないだろうか。

 確かに、資本主義経済下での個々の企業、とりわけ、常に市場で投資家の評価にさらされる上場企業にとっては、毎期ごとに利益の増大を目指すことが不可欠であり、市場での生存をかけたサバイバルゲームを展開せざるを得ないという面は否定できない。しかし、マクロな社会経済システム全体を見渡した場合、短期的な経済成長や、個々の企業の利益の増大に、どれほどの意味があるのだろうか。むしろ、上場企業等のサバイバルゲームの結果としての失業問題や社会的不安の増大の方が、大きな問題なのではないだろうか。

 今はむしろ、個々の企業の短期的な利益の増大を超えた、社会システム全体としての長期的な持続可能性(サスティナビリティ)を、どのように構築していくべきかというテーマが問われているのではないだろうか。個々の企業の利益額が増えなくても(多少減っても)、ニーズに見合った雇用と生産やサービスが確保されれば、社会全体としてのシステムは回っていくはずなのである。

 利益の増大を求める資本主義、とりわけ、株主利益の最大化を求める株主資本主義や前述の金融資本主義の限界は明らかであり、これに替わる持続可能な新たな社会システムの登場こそ、今、まさに求められているものであろう。

 ソーシャル・イノベーションやワークシェアリングなど、こうした社会システムの萌芽は至る所でみられるが、キーとなる考え方は、金銭以外の報酬を与えるシステム、すなわち、人間の尊厳を高め得る金銭以外の報酬を与えられること、喜びをシェアできることなのではないだろうか。こうした社会システムの創出に、少しでも貢献できるよう、チャレンジしていきたいと思う。

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