木を見て森を見ず……短期的な部分最適化の設計が建築をダメにする

 私が大学の建築学科を卒業してゼネコンに就職したのは、いまから31年前の1977年のことである。当初は支店の見積部に配属されたのであるが、今でも思い出すのは、社内の設計者の能力についてのうわさ話である。当時、ゼネコン社内の支店サイドでよく話題になっていたのは、建物の延べ面積1㎡あたりの鉄筋や鉄骨の量について、担当する構造設計者によって明確な差が生じるということであった。

 たとえば、鉄筋コンクリート造のマンションを設計した場合、A設計士が設計すると、130kg/㎡の鉄筋量が必要であるのに対し、B設計士が設計すると、120kg/㎡で済むという話である。この場合、ゼネコンが設計施工で仕事を受注しているのであれば、社内的にはB設計士の方が優秀であると判断され、できるだけ、B設計士に仕事を頼もうという話になっていた。つまり、鉄筋などの資材量が少なくて済む設計をできる者が、優秀な設計者であるというゼネコン社内のコンセンサスがあったのである。

 同じような話は、意匠設計の担当者についてもあり、50㎡そこそこの狭い専有面積の中で、3LDKの間取りをうまく取れる設計者が優秀な設計者と評価されていた。また、建物の階高についても、できるだけ低く設計することが、コストを抑える設計として評価されていた。つまり、ぎりぎりのコスト、スペースの中で、法規を最低限クリアーし、施主のニーズ(「できるだけいいもの」をではなく、「そこそこのものをできるだけ安く早く」という場合が多い)を満たす設計が、良しとされていたわけである。

 しかしながら、このようにして設計され、完成した建物は、その後の設計基準の変更や、生活者ニーズの高度化などによって、いち早く陳腐化していった。設計時における法規やコスト条件などを、最低限クリアーするという短期的な部分最適化の設計思想は、実は、建物の社会的寿命を著しく損ねる結果を招いたのである。こうした建設業の実態は、実は、30年余り経過した現在においても本質的には変わっていない。わが国では、法規ぎりぎりで最低限のコストで設計し施工するという風潮が、いまだにまかり通っているようである。

 現在、200年住宅という超長期の耐用性をもった住宅づくりが、政府によって推進されようとしているが、目先の基準ではなく、ライフサイクル的な超長期の視点に立って、品格ある建築、優良な社会ストックを形成するという哲学がなければ、単なる掛け声で終わってしまうのではないだろうか。もちろん、クライアントの理解が得られなければ実現しない話ではあるが、クライアントの教育も、設計者の重要な仕事であろう。

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